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加盟団体・少年団

千歳スキー連盟

詳細情報(令和6年1月1日現在)

会長
太田 憲之
設立
昭和31年10月
加盟
昭和32年12月1日
連絡
事務局:千歳市東雲町2丁目34番地6千歳市西庁舎内 TEL:0123-22-0776(FAXも同じ)事務局長:松井 善行
千歳スキー連盟HP:URL
https://ski-chitose.main.jp/index.html?ver=1.2
紹介文:特記事項
令和5年5月25日現在  登録会員:136名  少年団:32名

活動の歩み

 千歳スキー連盟は昭和31年に創立し、体協とはほぼ同年代を歩んで参りましたが体協の加盟は遅く、当初は連盟の下部組織であった昭和32年から加盟しておりました。その歴史は当時の地理的条件などを考慮すると、その存在は大変な苦労の連続でありました。千歳でスキー大会らしい催しが始まったのは、現千歳高校が建つ丘に古材を利用してジャンプ台を組立、当時の日本の名ジャンパー(若本選手)を招聘し模範ジャンプを催したのが始まりであります。
その後、故 伊藤 弘(初代スキー連盟会長)の政治力と資金協力により、支笏湖紋別岳にスキー場を開設し、毎年盛大に競技会を開催するようになりました。全道支笏湖スキー大会は道内各地から多数の選手の参加があり、特に全日本級の有名選手を招待し、大会を盛り上げたものです。この参加選手の中には後のオリンピック代表選手あるいは全日本に名を馳せた人、北海道スキー連盟の指導的ポストに就かれておられる方々等多彩であります。この会場となったスキー場は紋別岳の山麓を伐開し、一部登山道を利用したものですが、降雪が少ない上に南斜面の為、融雪が早く時には雨に見舞われることもあり、自然を相手にしたコース作りは会員だけでは足らず自衛隊の支援を仰ぎ、整備しなければならないこともありました。また、役員は大会の準備や運営に必要な協賛金集めに毎夜遅くまで頑張っていました。それは大変な苦労でありました。その後、宮様を支笏湖にお迎えし、正式なスキー場の命名式が盛大に行われましたが、スキー場としては不向きであるとの評価が発端となり、代替地模索が行われモーラップ山スキー場の実現をみたのです。このあと、全道支笏湖スキー大会はモーラップ山に会場を移し、引き続き開催されて参りました。これらの実績から冬季オリンピック札幌大会に競技役員として支援の依頼を受け、連盟から26名を派遣し恵庭岳滑降競技場での主役として活躍、無事大任を果たし、連盟の歴史に意義ある1ページを飾りました。オリンピックを契機に各地で
スキー大会が活発に開催されるようになり、当連盟は本格的な組織作りを始め、事務局・教育部・競技部・少年部と安全部の5部局とし、即実行に移されて年々増加するスキー愛好者に対して講習・検定会等普及活躍して参りました。また、全道支笏湖スキー大会に加え少年少女スキー大会を市民スキー場からモーラップ山に移
し、B級公認ジュニア大回転競技大会の開催地として道連の公認を受け、道内各地からこの大会を目指す青少年の参加は、300名を数える程になりましたが、各地でのスキー場の開発・整備が進み地形の悪いコースでの公認大会の開催は道連の規制が厳しくなり、当スキー場もコースの整備が遅れB級公認大会の公認が認められず残念ながら第7回大会をもって中止のやむなきにいたりました。このようにスキー界の環境が変化してきた中にも会員800名を超え、組織の活性化を図り、スキー愛好者の増加に対応するため平成2年10月に規約を改正し講習・検定・普及・養成・技術・競技・安全対策・少年・歩くスキーの9部会制で行い、指導陣としては基礎スキー指導員136名、競技有資格者12名、公認パトロール20名を擁しておりました。しかしながら昨今はスキー愛好者の減少が著しく、現在は講習・技術競技・養成・安全の4部会制に縮小して活動しております。指導陣は基礎スキー指導員110名、競技有資格者2名、公認パトロール13名となっております。しかしながら現在全日本級の競技大会で活躍されておられる選手が加入しつつあります。これからの少年・少女の育成の為にも市民スキー場のリフトの整備が望まれるところではあります。今後
益々多様化する冬季スポーツの愛好者のために指導力の強化と技術力向上を図り、市民の体力向上・青少年の健全育成等、冬季の楽しい生活環境の充実発展に努力していく所存であります。この間における連盟発展の基礎を築かれた諸先輩のご功績に深く感謝申し上げるとともに
今後とも体育協会並びに市民各層の深いご理解とご指導をお願い申し上げます。

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